ラグーナ出版ブログ:2023年8月1日「自分にとってのfacebookの世界」

編集部のエピンビです。2010年ころからfacebookをやり続けています。最初の頃は、何を書いていいのかわからないことが多かったです。今だにそんな人も多いのかもしれません。私も突然与えられた白紙の自由帳みたいな空間に頭を悩ませていました。

見渡してみると、活動報告、食事や旅行の写真、そういうのが多いです。普段の日常風景の中に書くべき材料を見つけられないのだと思います。一人一人の日常風景は違います。個室の作りが違うように。材料がないのではなくて、あまりにも本人にとっては当たり前すぎて、それが書くべきことだと気付けないのだろうと思います。

日本人にとっては、日本の風景はあまりにも当たり前すぎて、「絵にならない風景」かもしれません。でも、外国人観光客にとっては十分面白く、外国人の目で写された日本の「日常」がそれを見た日本人にとってはある種の異世界になってしまうというのはありますよね。それと同じでそれぞれの人の日常だって、その外にいる人によって描かれたものを見る機会があれば、それは非日常になるのではないかと思います。残念なことに本人にとってはあまりにも当たり前すぎて、見えなくなってしまっているのでしょう。

あたりまえの中にあるかけがえのないものを見つけるにはどうすればいいのでしょう? 私が思うのは最近の猫の表情が一昔前の猫の表情とすっかり変わってしまっているらしいことです。よく注意してみれば、顔が違うように行動パターンも昔の猫とは違うのかもしれないですね。外来の猫との混血が進み、昔はどこにでもいた生粋の日本猫が少なくなってしまったのだと聞いたことがあります。私のおぼえている昔の猫もどこまで生粋なのかはかなりあやしいのですが。

このように、そのときどきは当たり前でも、時間が経つとその当たり前のベースが変わってしまって、昔はどうだったっけ?と思い出そうとしても詳細には思い出せないことが多いです。そのときどきの当たり前はなかなか記録しがたいのでしょう。そこをなんとか頑張ってみる価値はあると思います。

 

 

 

 

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