ラグーナ出版ブログ:2022年9月13日「だから、生きる」

令和4年4月29日、父が死んだ。深夜0時過ぎに病院から連絡があり、駆け付けた時、もうこの世にはいなかった。主治医から余命を宣告されていたこともあり、私は冷静だった。病院から葬儀屋に電話をし、葬式の段取りを立てた。お金は兄が支払うとわかっていたが、値切りに値切った。

4年4カ月、がんと闘い、最後に聞いた言葉は、「お腹のもの(腹水)を出したい」と途切れ途切れに言った言葉だった。コロナ禍でも、もう余命いくばくもないということで、1日15分の面会許可が出ていた。日に日に弱っていく父を1人で見舞っていた。父は毎日のようにいろいろな甘い物を欲しがり、持って行っては、食べない、の繰り返しだった。主治医に、「もう無駄です、自然な死を望んだ方がいいでしょう」と言われ、食事どころか、輸血も点滴もなく、代わりに痛みを和らげる様々な処置がされていた。その結果、父は急速に衰えていった。でも、19日の私の誕生日には、朝早く父から「おめでとう」の電話があった。苦しさを我慢した優しい声だった。緩和ケア病棟だから、モニターはつけていなかった。それで、私への連絡も遅れた。せめて最後を看取りたかった。

棺に入っている父を見て、叔母は「知らない人みたいだ」とつぶやいた。ふくよかだった父の頬はひどくこけ、遺影の写真とは別人だった。

何度も、後を追おうと思ったが、父の部屋を整理していた時、マンションの購入においての返済計画書が出て来た。20年のローン。ローンが終わって、2年しか経っていない。「100歳まで生きる」と言っていた父。まだ82歳、人生はこれからだったはずなのに。マンションを鹿児島市内に購入した理由も、私が精神病になり、普通の就職が望めないだろうと予想したからだ。涙がポツリと落ちた。

生きよう、まだ何も成し遂げていない。

お父ちゃん、ありがとう。

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