ラグーナ出版は、本年で17年目を迎えることができました。これもひとえに、社員、取引先、読者、投稿者のみなさまのおかげです。あたたかなご支援に感謝いたします。
年越しは、『希望の歴史』(ルドガー・ブレグマン)を読みながら過ごしました。人間の本質は善なのか悪なのかを、狩猟採集時代から現代までの出来事を読み解いて論じていく本です。清々しい気分で読み終えたとき、能登半島地震のニュースが飛び込んできました。
私にとって能登半島は、19歳の時に、生まれて初めて一人旅をした場所。海沿いでの野宿、朝市で見た朝陽と人々の活気、ヒッチハイクで1周したときの達成感。当時、かなり尖った性格で人間不信でしたが、優しさに触れることで生まれた人への信頼感は、私を変え、今でも心のふるさとになっています。
倒壊した建物、輪島市の朝市通りの火災を見ながら、ふるさとが壊されていくような痛みを覚えました。野宿を心配して声をかけてくださった男性、輪島塗の工場へ連れていってくださった女性、旅館、朝市で話しかけてくださった方々……。そんな人々の苦悩を想像し、打ちひしがれた気持ちになりました。
そんな気持ちを切り替えてくれたのは、読み終えたばかりの『希望の歴史』でした。著者は、「共感」と「思いやり」の違いを、シンガーが行った実験(ルーマニアの孤児たちのドキュメンタリーをリカールに見せ脳画像の違いを検証)から次のように書いています。
(孤児たちのドキュメンタリーを見て、リカールは)打ちひしがれていた。これが、共感がわたしたちに与える影響だ。それは人を消耗させる。……15分が耐えられる限界だった。
(そこで、シンガーは)リカールに、孤児たちの苦悩を共有するのではなく、彼らへの優しさ、気遣い、思いやりを呼び起こすことに気持ちを集中させた。……リカールの脳では、以前とは異なる部分が明るくなった。前回は前島が光ったが、今、光っているのは、線条体と眼窩前頭皮質だった。
リカールの新しい精神活動は、わたしたちが「思いやり」と呼ぶものだ。共感と違って思いやりはエネルギーを絞り取らない。事実、前回に比べて、リカールははるかに気分が良かった。なぜなら、思いやりは、よりコントロールしやすく、客観的で、建設的だからだ。思いやりは他者の苦悩を共有することではなく、それを理解し行動するのに役立つ。それだけでなく、思いやりは私たちにエネルギーを注入する。それは他者を助けるために必要なものなのだ。
よくよく考えると、私も、地震の多い薩摩半島に住み、隣町に原発を抱えています。中井先生の「ともに病みうる人間として」をもじれば、「『だれも病人(被災者)でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気(被災者)ではないのだ』という謙虚さが、病人(被災者)とともに生きる社会の人間の常識である」と、つくづくそう思いました。
募金、生活物資の送付、ボランティア活動などが具体的活動ですが、何もできないときにできることは、地震を覚えていて風化させないことだと思います。
社員一同、「思いやりを持って謙虚に」活動を展開する所存です。皆様方の変わらぬご支援のほどよろしくお願い申し上げます。(川畑)