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第5回 社会に出て行く勇気
挿絵

「遺書のつもりで書きました」。そう言って統合失調症がある竜人さんが、幻聴体験をつづったメモ帳を見せてくれたのは入院中の精神科病院の図書室でした。

「今まで見てきたが、おまえは救いようのないやつだ」「おまえは今日死ぬ」「絶対許さぬ。全員総攻撃」といった幻聴の言葉が、小さなメモ帳の中でひときわ大きく、うねりをもって書かれていました。そして、その字の後ろから、さまざまな感情が千手観音像の手のように伸びて、圧倒的な力を持って私に迫ってきました。

読み進めると、天使や悪魔、歴史上の人物が登場し、戦争や戦友との出会いと別れがあります。思わず「おもしろい小説だね」と感想を伝えました。

すると彼の表情は怒りに変わり、「違います。小説ではありません。実際に起こっていることです」ときっぱりと言いました。温厚な彼が怒る姿を見るのは初めてです。慌てて彼の身になって読み返しました。

部屋にスーと浮かび上がり監視する目、腹の中にわいた虫に内臓を食いちぎられる様子、皮膚が固まって腐りだし、周囲に腐敗が広がっていく描写。私はこのとき初めて彼にとっての「現実」を理解し、何も分かっていなかったことを恥じました。そして、この病気の痛みを世の中に伝える必要性を痛感しました。

彼は、他の人の体験記を読んで自分の病気に気づいたと言います。そして、自分に起こったことを書くことで同じ病に苦しんでいる人の役に立ちたい、と真剣な表情で話しました。

メモ帳の編集作業が始まりました。分かりやすい文章にするために、幻聴のなかで歴史上の人物が語った言葉の意味や、そのとき実際にしていたことを彼に聞くと、すらすらと文章にします。やがて、「霊界大戦」という作品に仕上がりました。

編集作業の間、私たちは互いの夢を語り合いました。竜人さんはもともと作家を目指していたそうです。「病気になる前は、技巧に走っていたけれど、病気になったことで、書くことは生きた軌跡を残す作業になりました」と説明してくれました。書くことと生きることがメビウスの輪のようにつながり、他者に向けて表現することで、生きる力が生まれてきたのです。

信頼していた森越まや医師(現ラグーナ出版会長)に、作品を見せると表情が輝きました。彼女は、社会の中で役割を持つことに精神疾患の回復の鍵があると考えていました。私たちは、他の患者さんからも作品を募集して本にし、社会に出ていこうと語り合いました。

1人で語っていれば夢のままですが、3人で語ると現実味を帯びます。夢のもとに集まったつながりは、患者さんと私たちが、病院から社会に出て行く勇気を与えてくれたように思います。

鹿児島市、ラグーナ出版社長 川畑善博


夢とつながりのなかでは本でも読めます