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第4回 体験を伝え励ます力

役に立たないとされて埋め立てられる「干潟」にも多様な生物が共存しているように、一見不毛なような場所にこそ、心の問題を解く鍵がある-。「干潟」を意味するイタリア語に、そんな思いを込めた「ラグーナ出版」は、メンタルヘルスを中心にした本の出版社です。

代表的な雑誌に「シナプスの笑い」があります。雑誌名は回復期の笑顔と、神経細胞に由来しています。その編集長で、統合失調症がある竜人さん(仮名)との出会いは6年前のことでした。

精神科病院に精神保健福祉士として勤めていた私が、昼休みに一服しているとき、目の前を何やらつぶやきながら通り過ぎて行ったのが彼でした。

その日から注意していると、時に泣き、時にメモしながら、朝から夕方まで病院内を歩き回る姿を目にしました。周りに人を寄せつけない断絶感がありました。

冗談を交わせるようになってから、ある提案をしました。言葉を通して人とのつながりを回復する「社会生活技能訓練」(SST)に誘ったのです。

それは、患者さんに課題を挙げてもらい、参加したみんなで話し方の手順を検討、場面や各自の役割を決めて会話の練習をする治療法です。「大の大人にそんなことが必要なの?」と不思議に思われるかもしれませんが、百人百様とされる統合失調症の人に共通するのは、言葉がうまく使えなくなり、人とのつながりを失うこと。それが人間関係の悪化や孤立を招きます。「人の輪へ連れ出したい」という素朴な思いからのことでした。

実は私は、それまでSSTで多くの感動をもらっていました。「迷惑をかけている妻にありがとうと言いたい」「父に失敗のたびに『ばか』と言われるつらさと、いつも心配してくれることへの感謝を伝えたい」…。目頭が熱くなるような言葉を度々耳にしたのです。

竜人さんと取り組んで驚かされたのは、そのユーモアのセンスでした。

夕方になると「死ね」という幻聴が聞こえる患者さんが「死なないといけないと思ってしまう」と課題を出したときのことです。暗く沈んだ雰囲気の中、竜人さんは笑顔で「それは普通です。大丈夫ですよ。『声』から身を守るヘルメットを開発しました。付けてみます?」と言って、見えないヘルメットを装着させるしぐさをしたのです。

すると患者さんは不思議そうに「あれ? 治りました」。一座は明るい笑い声に包まれました。

自らの「幻聴」について竜人さんが話したのは、この時が初めてでした。理由を尋ねると「医療関係者に霊媒師はいないし、話すなと『声』に言われていたから。でも彼なら分かってくれると思って…」と語りました。絶句した私は、自分の限界に思い至りました。

医療従事者は、病を「知」で知ることができても「体験」して生きることはできません。でも、体験者は、同じ病に苦しむ人とつながることで、励ます力を持っているのです。

数日後、彼は自らの体験記「霊界大戦」を見せてくれました。このメモこそが、ラグーナ出版の始まりとなったのです。

鹿児島市、ラグーナ出版社長 川畑善博


夢とつながりのなかでは本でも読めます