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第2回 患者自らが開ける扉

私は1998年、精神科病院に就職しました。働きだした当時は、就労支援事業どころか訪問看護やデイケアもありませんでしたが、それから14年間ですべて整備されたのを考えると、精神医療福祉を取り巻く環境は、目まぐるしい変化を遂げたものだと思います。

精神科病院の勤務前は、東京の出版社にいました。父が亡くなったこともあって、29歳で鹿児島に戻ったのです。

書店でアルバイトをしたり、自動車運転や図書館司書の免許を取ったりしながら約10カ月間、真剣に考えました。それは、どんな仕事をするかということでした。

「次に就職する業界は恐らく一生の仕事になる」と考え、心の不思議さに関心を持っていた私は、その不思議さに直接触れられる精神科病院を選んだのです。といっても、医療関係の資格は持っていませんでしたから、看護助手として入りました。そして、1週間後には「誤った業種を選んでしまった」と悩みました。

患者さんや職員のことで辞めようと思ったことは一度もありませんが、精神科病院独特の閉塞感、自由のなさに驚くとともに、無力感に包まれたのです。

朝から夜まで細かく決められた生活規則、外出一つとってもたくさんの印鑑を必要とする手続きの煩雑さ、ガチャンと大きな音を立てて施錠するドア…。 挿絵

患者さんは職員が錠を開けてくれるのを従順な態度で待ちます。そして、病院生活に慣れきった患者さんは、開いているドアさえ自分で開けず、職員が開けてくれるのを待つのです。その姿を見たとき、悲しみがこみ上げました。

「患者さん自らがドアを開けられるようにしたい」という思いが、後のラグーナ出版設立につながっていったように思います。

その半面、98年当時の院内では、患者さんが生き生きしていたのも事実です。善しあしは別に、患者さんはつながりを持ち、当番を決めて、掃除や食事の準備、運動会、夏祭りを行っていました。

尊敬できる上司に「患者さんのそばにいるのが仕事」と言われた私は、患者さんの波乱に満ちた人生を聞かせてもらったり、将棋を指したり、ご飯や風呂の介助をしたりして、患者さんとの生活にどっぷり漬かることができました。仕事が分からなくて困っているとき、真っ先に手を差し伸べてくれたのが患者さんでした。患者さんに育てられたことが、今の私の財産になっているのです。

シェークスピアの戯曲「マクベス」の冒頭に「きれいは汚い、汚いはきれい」という有名な言葉があります。私は、現在のきれいで効率的なプライバシーが守られた病院と比較すると、ずいぶん混沌とし、汚かった環境のなかに、美しいもの、きれいなものもあったと感じています。

鹿児島市、ラグーナ出版社長 川畑善博


夢とつながりのなかでは本でも読めます